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チャールズ・エドワード・ジョンソン・ジュニア(Charles Edward Johnson, Jr.、1971年7月20日 - )は、 アメリカ合衆国・フロリダ州フォートピアス出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 MLBで12年間プレーし、ゴールドグラブ賞4度の実績がある。 通算493本塁打のフレッド・マグリフは従兄弟にあたる〔Already the game's best defensive catcher, Florida's Charles Johnson has been error-free this season 〕。 == 経歴 == 高校の野球コーチをしていた父に幼少期から英才教育を受けた。父の教え子で従兄弟のテリー・マグリフ(Terry McGriff)に影響を受け、捕手を志す。 1989年のMLBドラフト1巡目(全体10位)でモントリオール・エクスポズから指名されるが、入団せずにマイアミ大学へ進学した。 にバルセロナオリンピックの野球アメリカ合衆国代表として出場した。同年のMLBドラフト1巡目(全体28位)で地元の新設球団フロリダ・マーリンズに入団した。 5月6日のフィリーズ戦で6番捕手として先発出場し、メジャーデビューを果たした。から正捕手の座を掴み、まで4年連続でナ・リーグのゴールドグラブ賞を受賞した。には123試合、1076.2回にマスクを被り、失策0であった。 5月15日にマイク・ピアッツァがマーリンズに移籍する2対4の大型トレードが成立し、ジョンソンはゲイリー・シェフィールドら3名と共にロサンゼルス・ドジャースへ移籍した。 からはボルチモア・オリオールズに移籍。はオリオールズとホワイトソックスで打率.304、31本塁打、94打点と自己最高の打撃成績を記録。その後、フロリダ・マーリンズ、コロラド・ロッキーズ、タンパベイ・レイズと渡り歩き、を最後に現役を引退した。12年間の通算盗塁阻止率は39.3%。 近年は非常に少なくなったアフリカ系アメリカ人の捕手であり、レニー・ウェブスター(Lenny Webster)がに引退してからはジョンソンが唯一のアフリカ系アメリカ人捕手だった。ジョンソンの引退後、MLBにアフリカ系アメリカ人の捕手は1人も登場していない〔Where have all the black catchers gone? 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「チャールズ・ジョンソン (野球)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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